バサバサと、頭上を何かが飛び去って行く。
もしかしてと、期待を込めて見上げれば、真っ青な大空を過る白い影。
小さいナーガだ。
短く鳴き声を上げると、黒髪の少年の方へと降りてくる。
左腕を上げ、そこに止まらせて話しかける。
「元気だったか?」
すると、人懐っこく少年の頬に顔を寄せ、ペロッと舐めてきた。
「よせってば。」
くすぐったげに身をよじれば、さらに白い身体を寄せてくる。
しまいにはバランスを崩し、地面に押し倒される。
いつものことだ。
「……よく飽きもせずに。」
呆れた声が上から降ってくる。
声の主がナーガを抱き上げて傍らに退かす。
「ガイ?」
「今はともかく、こいつは小ナーガとは違うんだ。この懐き癖が治らないと、今に大きくなったこいつの下敷きになるぞ。」
視界に入る、銀色。
出逢った頃―五年前から伸ばし始めて、背を覆うほどになった銀髪。
素っ気ない言葉とは裏腹に、紅の瞳に宿る光は柔らかくて優しい。
心配してくれているのだ。
差し出された手を掴み、立ち上がりつつ謝った。
(あれ?)
何かがおかしい。
改めてガイを見上げたとき、違和感の正体に気づいた。
「ガイ、てめぇ……!」
相手の顔に浮かぶ、余裕の笑み。
「いつのまに背伸びたんだ!?」
ついこの前まで、視線は同じくらいの高さだったはず。
それが、並ぶと確実に相手を見上げるようになっていた。
「それは成長期だし。ひょっとして、シュラトはもう成長止まったのかな。」
わざとらしく、ガイがシュラトの頭に手を乗せる。
「やめろって。」
嫌がると、かえって手を出したくなるものだ。
「お前、本当は意地悪だったんだな。」
シュラトが上目使いに睨んだが、相手は怯まない。
「俺は『月の魔物』だからね。」
魔性の根性がひねくれているのは当然だと開き直る。
「だから、そう言うのは止めろと言ってるだろ。ガイは人だ、魔物なんかじゃない。むしろ、ガイのことをそう呼ぶ連中の方が化け物じみてる。」
ガイは『綺麗』なのに……
その呟きに、ガイは今まで感じていた疑問をぶつけてみた。
ひょっとして、シュラトは常人の目に映らないものまで見ているのではないかと。
悩んだ末の問いかけに返る答えは、至極単純シンプルである。
「え? そんなわけないだろう。」
ただ、光流の輝きが違うのだと言う。
「その違いが分かるだけでもすごいと思うけどな。それって、神将になる訓練の賜物?」
「だと思う。この前、うちの村に来た神将も見えるって言ってたからさ。」
あまり、嬉しそうではない。
シュラトは武術が好きで、神将になりたがっていたのに。
今も、目線を下げて合わせようとしない。
「何かあったのか? あんなに、神将になるのが目標だと言ってたのに。」
心配になって訊いてみた。
「うちの村に来た連中みたいなのばかりだというなら、神将になんかなりたくない。」
連中、シュラトの光流の色について何か言ったのだろう。
特に訓練もしていないガイにも分かるくらいにはっきりと違うのだ。
人々の光流を夜空の星にたとえるなら、シュラトのは太陽だ。
混じりっけなしの、黄金色。
他を圧倒する輝き。
「今度、上級の神将が来るって言っていた。」
おそらくシュラトを迎えにだ。
これだけの逸材、逃す手はない。
「行くのか?」
と尋けば、
「行くわけないだろう。」
完全に拗ねている。
思わず抱き寄せて、背を軽く叩いてやった。
幼子をあやすように。
「おい。俺はそんなにガキか?」
されるままになりながら、シュラトが抗議する。
村でもしょっちゅうからかわれているので、少し気にしているのだ。
「よく分かってるじゃないか。゛
「ガイ!」
身を離そうとするのを押さえ込み、
「黙って心臓の音でも聞いてろ。落ち着くぞ。」
疑問も露なシュラトの頭を抱き、耳を胸に当てさせた。
しばらく身動いでいたが、しだいにおとなしくなる。
そのまま、ゆるやかに時間が過ぎてゆく。
「どうだ?」
頃合いを見計らった問いかけ。
シュラトは目を閉ざして聞き入っている。
「……不思議な感じ。妙に懐かしいような。」
何処かで聞いたことのある音。
「波音に似ているだろう。」
「波?」
シュラトの思い浮かべるのは、河や泉くらいである。
それ以外、広い水面など目にしたことがない。
「海に行ったことはないか?」
「海?」
方々を放浪していたガイと違い、シュラトは森の中にある村からあまり離れたことがない。
「湖なんか比べ物にならないくらい広い。ただし、『天空界』では世界の果てに続くと言われているほどで、辺境に行かないとお目にかかれない。」
遠い所だけど、一見の価値はある。
「……海か。」
思い出すのは、幼い頃に一度だけ聞いた昔語り。
一万年前の聖戦を終わらせ、創造神の後継者と定められた少年の話。
少年は神にならず、聖戦で失った友を探して放浪の旅に出たという。
行き着いた所が世界の果て。
そこは、海の向こう。
天空と海とが交わる所。
「いつか行ってみたいな。」
どんな形にせよ、それが実現するとは思いもしなかったが。
海の話をして以来、ガイは前にも増して頻繁にシュラトのもとを訪れていた。
どんなに理由をつけても、結局は心配で仕方なかったのである。
(それに、シュラトの笑っている顔を見れれば、こっちも元気が出るし……)
この容姿のために追われ、迫害されてきたガイにとって、
シュラトと過ごす時間はかけがえのないものになっていた。
生きる糧といっても良い。
万一、シュラトが神将になるとしたら、もう二度と逢えなくなるだろう。
おそらく、シュラトは名の知れた神将の転生者か何かだ。
十二天聖や八部衆のような。
そうしたら、天空殿からそうそう出られなくなる。
一方、ガイはというと、天空殿はおろか人のいる所にも近付けない。
シュラトを失いたくはないが、失わないためにシュラトの夢を壊したくもなかった。
(なるようにしかならないか。)
何はともあれ、元気のないシュラトというのはいただけない。
その日、村に近付くとどことなくざわついていた。
何かあったのだろうか。
森の中も、いつもなら村人の入り込まない辺りまで人が入っている。
遠くで上がる悲鳴。
(見られた!?)
連鎖反応のように、次々と向けられる敵意と恐怖。
逃げなければ。
シュラトの言うように、連中こそ魔性に近い。
人を人と思わず、平然と抹殺する。
そんな人間が多いから戦いはなくならない。
そして、同じ悲劇が繰り返されるのだ。
外が騒がしい。
何かあったのかと問うが、訊いた相手が悪かった。
村長は取り合ってもくれない。
「良いか。今日、お前を迎えにいらっしゃるのは八部衆の御方だ。失礼のないようにな。」
「迎えって……」
あまりにも急な話だ。
「わざわざ八部衆ともあろう御方が迎えに来るのだぞ。これを名誉と言わずに……」
その先を聞きたくなくて、叫ぶ。
打ち消すように。
「俺は承知してない!」
間に落ちる沈黙。
外の声が切れ切れに聞こえてくる。
銀の……月の魔物……
(まさか、ガイが姿を見られた!?)
いても立ってもいられず、シュラトは外に飛び出して行く。
「誰か、シュラトを止めろ!」
その剣幕に驚き、騒ぎの報告に来た村人が身を竦ませる。
「村長?」
「シュラトを『月の魔物』と接触させてはならん。」
多少、怪我をさせてもかまわない。
何としても、連れ戻せ。
そう指示を与えると、村人がますます不審がる。
何故、おそらく村で一番強いだろうシュラトを魔物狩りに出させないのかと。
あまつさえ、捕らえて閉じ込めるのかと。
「あの二人を会わせてはならない。一万年前の二の舞になる。」
出会えばきっと、シュラトは戻って来ない。
村長は一万年前の事実を知っていた。
一万年前の戦いは、聖戦などではなかったことを。
その事実を知る者だけが、『月の魔物』の正体を知っている。
彼ら、天空に住まう人々の欲するのは太陽の如き存在ひかり。
その太陽と切っても切れない関係にあるのが月である。
月――時には羅らごう星となって太陽を喰らう不吉な存在かげ。
「八部衆の方にも伝令を走らせろ。」
何としても、最悪の事態を避けなければ。
もう、天空界には次待つ時間がないのだ。
執拗な追跡。
村人を振り切っても、次は神将が追って来る。
何故自分たちが追われるのか、シュラトには理解できていない。
ガイに導かれるまま、天空殿と反対の方角へと進み続ける。
辺境の地を抜けて。
いつしか、森を構成する植物たちの顔ぶれが変わっていた。
大気の匂いも。
(この感じ、知っている気がする。)
かつて、同じ道筋を辿ったことのあるような既視感。
(そうだ、この先……)
記憶の糸を手繰っていると、ガイが突然に振り返った。
「シュラト、走れ!」
神甲機の飛来音。
光流弾が周囲に打ち込まれる。
「ガイ!!」
土煙が、二人の姿を飲み込んだ。
「ガイ、何処だ?」
襲撃の直前までガイのいた方向へと一歩踏み出す。
すると、背後から腕を捉えられて、ギリギリと捻り上げられた。
気配はまったく無かったというのに。
「お前……シュラト?」
相手の動揺する気配。
今なら逃げられる。
一瞬の隙を突き、腕の自由を取り返した。
向こうから、憶えのあるナーガの鳴き声。
ガイは無事だ。
神将の制止を振り切り、シュラトは前へと進み続ける。
悲しくも懐かしい音の聞こえる方へと。
そこは断崖の上。
ガイが神将から奪った剣を振るっていた。
武術はやらないと言っていたのに、無駄のない的確な動き。
その足許には、すでに幾人か倒れ伏している。
残りはあと二人。
「ガイ!」
加勢に入り、そのうちの一人を一撃で沈めた。
ガイの方を見ると、そちらも片付いている。
互いの無事に笑顔を浮かべ、手を取り合う。
「また、行ってしまうのね。」
不意にかけられた言葉。
慌てて振り向くと、シュラトを捕まえかけた神将が静かに佇んでいた。
金髪のまだ若い青年。
その纏う気は、尋常でない密度である。
かなり高位の神将だ。
警戒を見せるシュラトを、静かに見つめてくる。
どことなく、寂しげな翡翠の眼差し。
「……いいわ、行きなさい。お前がそう望むなら。」
言って、ガイの方を一瞥する。
「迦楼羅王……」
「私たちには、お前を縛りつける権利はない。」
この先、海の向こうには罪が眠っている。
一万年もの間、誰もが恐ろしくて触れられなかった償いようのない罪。
もし、それを知ってなお私たちを許せるというなら……戻ってきて欲しい。
お前たち二人で。
水平線の向こうから近付くものがある。
巨大な浮遊岩。
その上に、小さな神殿のようなものが見える。
「あれは?」
シュラトの問いに答えたのはガイだった。
「神にならなかった創造神の後継者を祭った廟だ。」
(そうだ、あのとき長老が話してくれたんだ。)
神の後継者に選ばれた少年の話。
昔、『天空界』の存亡をかけた大きな戦いがあったこと。
少年は神にならず、取り戻せなかった友を探して放浪の旅に出たのだと。
「その子の名前はね、『秋亜人』といったのよ。私と同じ、八部衆の修羅王シュラト。そして、あの子の親友だったのが夜叉王ガイ。つまり、あなたたちよ。」
<END>
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>Post Script
>これも、以前読み切りで出した話です。
>確か、カラープリンターを買ったものだから、表紙を楽しんで作っていた覚えがしました。
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>初出: 夢・世界 第49回配本『Blue Water』(1997.8.16)